Eclipse.

  • 2018.09.01 Saturday
  • 02:14

“And everything under the sun is in tune.

But the sun is eclipsed by the moon.”

 

Roger Waters - from ”The Dark Side of the Moon”

 

Dark and Light, black and white, Night and Day and Man and Woman, north and south, love and hate, poverty and wealth, Now, gone, and come. Death and Life. All things are merely relative, and equally valuable. There’s no absolute thing beneath the universe. like me and you.

 


Bar Kirkwall - バーカークウォール
広島市中区流川町2-22 インペリアル1st 2F
082-249-2140
www.barkirkwall.com
18:00〜4:00 Last Entry 3:00 - 不定休 -


 

- Reprise -

  • 2013.01.01 Tuesday
  • 01:18

汝のこの世に生まれた日
日輪を迎えた惑星の星の配りそのまゝに
生まれたときの掟に従い
早すくすくと育ってきた。

 

これより他に道もなく
おのれを捨てるすべもない。
こういうことはその昔
巫女どもが、預言者どもが告げたという。

 

形を具えて、栄えゆく生命は
時にも、力にも、砕かれはしない。

 

Johann Wolfgang von Goethe/
ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ 

私は人間だった。それは戦う者だということを意味している。

  • 2012.12.26 Wednesday
  • 09:28

匹夫の勇さながら、戦い続けています。
寒さ厳しく、痩身病弱のからだに冬は応えますが
鼓動が止まるまでは、歩みを止める訳にはいきません。


釈尊は、三十五にして悟りを開いたといいます。
気がつけば私も、来年三十五才。

 

キチガイじみていますが、私には見えているモノがあるのです。
ただ、そこを目指して歩いて行くだけなのです。 

ソムリエバッジ。

  • 2012.12.18 Tuesday
  • 08:38

少し前のことですが、愚かにも裏金具を紛失して使えなくなっていました。

なんとかしよう、調べてみようと思いながら、諸々に追われてあと伸ばしにしていたところ…なんと本日、心あたたかな方の贈り物によって、見事に復活しました!



モノがモノだけに、規格外のネジ穴だと信じて疑わなかったのですが、拍子抜けするほどすっぽりハマりました。まずは動いて、試してみて…。改めて自戒します。

しかし、敢えて良かったことが一つだけ。

 

私にとっては、再交付するより、別注で裏金具を誂えるより、その方に助けてもらったおかげで復活したことが、何より嬉しく思えます。

素晴らしい改造を施して、パワーアップしたようにも思えます。これで単なる協会のバッジではなくなりました。そしてもう、僕だけのものでもありません。

いつもいつも、周りの方々に助けて頂いてます。

気配。

  • 2011.02.07 Monday
  • 05:53
花ひらく前のツボミが色付くように

私たちの移ろいゆく心にも
その折々にあえかなる気配があるのでしょう。

"気を配る"と書いて気配と読む。

日々の暮らしに追われるなかで
または未来を見据えて生き急ぐがゆえ

まさに今
瞳の前に現れた幽かな機微を見落とすことがないよう
生きていきたいと思います。

…難しいことですね。

春の気配は、もうそこまで来ています。
(花粉) 

Just Like Starting Over.

  • 2010.11.07 Sunday
  • 07:30

ランプを灯しておく為には、油を注ぎ続けなければならない。

種火はいつまでも消えやしない。
暗闇で足下を照らす光は、おまえの意志で何度でも燃えあがるだろう。

女の一番の化粧は笑顔。

  • 2010.10.14 Thursday
  • 10:08

太陽のように。または月のように。
女性には、いつも笑っていて欲しいものです。

女の顔が暗い家は、すべてが暗くなっていってしまう。
男は、家庭は、女の笑顔しだいです。

そして、


そうあって貰えるようにするのが、男の仕事かもしれませんね。
男は愛する女の笑顔のために生きていきます。

金も快楽も長く我々を幸福にはしない。心が常に人の幸不幸を定める器官だ。

  • 2010.09.09 Thursday
  • 08:19

 ウイスキー詩人
 ロバート・バーンズの言葉です。

 Robert Burns (1759 -1796)




しかし"心"こそが、もっとも覚束なく頼りないもの。
ゆえに、こんな格言が残るのかもしれませんが…

得難い財産を手にしていても
心地よい安らぎが運良くそばにあっても

幸せを幸せとして感じる"心"がなければ
ただの持ち腐れ。

生きることは
おのれの迷いなき"心"を探し、追い求める道。

人生とは
信じるに足るものを見つけ
弛まずそれを鋼に変える努力をかさねる場所。

心さもしければ、すべからく多くを失い
心みうしなえば、歩み出すべき方向すら定まらない。

自分にとって
"何が本当に欲しいものなのかを知ること"が
まさに"生きること"そのものなのかも知れません。

ときに立ち止まれども、ブレることなく私は
まっすぐに自分の真実を見極めて、前に進んでいく"心"を養いたいと思います。

My heart draws a dream.

  • 2010.09.04 Saturday
  • 06:00

目標が遠ざかっていくのではない、自分が目標から遠ざかっていくのだ。 

「三脱の教え」ということばをご存知でしょうか?

  • 2010.08.05 Thursday
  • 04:37
「三脱」つまり三つのものにとらわれないという意味。そして、その三つとは「年齢・職業・地位」のことです。江戸時代、暮らしを粋で心地よいものにするために、人々が日常こころがけた不文律の作法が「三脱の教え」といわれ、今に伝えられています。


元禄期には人口100万人を超える人口を抱えた江戸の城下町。様々な人間がそこに生活し、往来を行き交った大都会です。そしてご存知の通り、身分制度がある時代でした。ひとくちに武士といっても直参旗本もいれば、各藩邸勤務の藩士もいる。また、同じ藩でも参勤交代で江戸滞在中の田舎武士もいたでしょう。町人にいたっては、生まれも育ちも職業も稼ぎの額も千差万別、いろいろな人がごちゃまぜになって暮らしていました。


武家屋敷区域と町家区域とは分かれていて、生活テリトリーが異なるとはいえ、趣味の会や講などで同席することも少なくありませんでした。そんなとき、はじめて顔を合わせた人に聞いてはいけないのが、この「年齢・職業・地位」だったといわれています。
また、名前は本名ではなく、互いに仮の名で呼び合うのが習わしでした。仮の名は、たとえば見た目やしぐさなどからつけた「あだ名」と呼ばれるもので、一種のニックネームです。しかも、相手のあだ名がわからない場合は、自分から何と呼ぶかを聞いてはいけない。すでに顔見知りのだれかが、その人の名を呼ぶのを待ってから、それを記憶するという具合でした。


こうした習慣は、身分や肩書にとらわれない付き合いをしている、ということを暗に示すためのルールでした。いろいろな価値観を持った人間同士ふれあいに、無用な衝突や軋轢を避ける目的もあったと思われます。
また、本名や素性がわかったとことで、つきあい方が変るわけではなかったとしても、そこを敢えて知ろうとしないのが江戸人の心意気だったともいえます。今日に続く日本的な美学も見つけられるように思います。


むかし私に、「街場のバーは風呂屋と似ている」と言った友人がいます。

ドアをあけて中に入れば、年齢も職業も、趣味や主義主張もバラバラ。いろんな人間がいます。常連さんらしきが、いつもの場所で湯浴みをする隙間に、自分の場所を見つけて腰を下ろし、隣の人に水しぶきがかからないようにそっと身体を流す。。。
静かに湯船に身を沈めて、その日の疲れを癒すも良し、話が合えば隣の人と語らう時があってもいい。人間、はだかになれば皆平等であり、また無防備な姿だからこそ、気遣いや謙虚さがうまれる。

つまりはパブリックなスペースだから、皆が居心地よく過ごせるように、それなりの振る舞いが求められる。ということで、聞いてる自分もそのとき上手く準えたものだなぁと感心しました。


こうしたことは敷衍して考えるまでもなく、私たちが属するコミュニティについても同様ではないかと思います。コンビニも居酒屋もバーもパブリックな場所なら、電車の中も、いつも歩いている道路のうえも、公共の場です。間違っても自分の部屋ではない。


当店に寄ってくださるお客様はいい方ばかりです。

お店で不快な思いをされる方がいるとすれば、もっぱら私の不注意な暴言や、力のなさのせいかと思いますが(笑)。そんな私でも普段何気なく町を歩いていたり、いろんなところに出入りさせて頂いていると、それはちょっとどうかな?と思うことが少なくないのも事実です。気にならない人間にとっては、よく気がつく人間の戸惑いや不快感は、些細なことなのでしょうか。

もちろん程度にはよると思いますが、良識の範囲で気になる人間が、いつも不快な思いをするのであれば、考えた人が、よく気がつく人が「負け」ということになる。そんな世の中であって欲しくはないと思います。


江戸の風習がすぐれていて、現代が歪んでいると言いたいわけではありません。江戸の町にも、野暮天やならず者は居たろうし、今の日本にも、察しと奥ゆかしさに溢れたすばらしい気質があると思います。だだ、私たちが暮らすこの社会も、私自身も含め、みんなの心がけ次第で、居心地のよいパラダイスにもなれば、とんでもない地獄にもなるのだろうなぁと、ひとりごちてみるのでした。

なお江戸時代には、他にこんな言葉もあったそうです。
(以下、wikipediaから引用)

・傘かしげ
雨の日に互いの傘を外側に傾け、ぬれないようにすれ違うこと。

・喫煙しぐさ
野暮な「喫煙禁止」などと張り紙がなくとも、
非喫煙者が同席する場では喫煙をしない。灰皿も無い所で喫煙をしない。

・時泥棒
断りなく相手を訪問する。
または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは、
重い罪(十両の罪)にあたる。 

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